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最高裁判所第三小法廷 昭和48年(オ)1088号 判決

上告人 水守俊子(仮名)

被上告人 大石安雄(仮名) 外一名

被拘束者 水守隆男(仮名)

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人吉田訓康、同松重君予、同石丸悌司、同青木仁子、同水嶋幸子、同前田知克の上告理由第一ないし第三について。

意思能力のない幼児を監護するときには、当然幼児に対する身体の自由を制限する行為が伴うものであるから、その監護自体を人身保護法及び同規則にいわゆる拘束と解するに妨げないことは、当裁判所の判例(昭和三二年(オ)第二二七号同三三年五月二八日大法廷判決・民集一二巻八号一二二四頁)の趣旨とするところである。このことは、右監護が法律上監護権を有する者によるものであるかどうかにかかわりのないことである。

ところで、原審の適法に確定した事実関係のもとにおいては、上告人の被拘束者に対する拘束は、人身保護規則四条にいう拘束が権限なしにされ、又は法令の定める方式、手続に著しく違反していることが顕著な場合にあたるとした原審の判断は、是認することができ、原判決に所論の違法は認められない。論旨引用の判例は、本件と事案を異にし、原判決がこれに反するものということはできず、所論違憲の主張は、その前提を欠き、採用することができない。論旨は、すべて理由がない。

同第四について。

原判決が被拘束者の幸福を主眼として判断している趣旨であることは、判文上明らかであり、原判決に所論の違法は認められない。論旨は、原判決を正解せずにこれを非難するものであつて、採用することができない。

よつて、人身保護規則四二条、四六条、民訴法九五条、八九条に従い、主文のとおり判決する。

この判決は、裁判官天野武一の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官天野武一の補足意見は、次のとおりである。

裁判官全員一致の意見に記されているところは、上告理由に対する判断を簡潔に示したものであるが、私は、更にその理解に資するため、若干の補足を要するものがあると考える。

まず、本件については、(一)生後一週間を経たばかりの被拘束者が、昭和四五年三月一六日被上告人らに引き取られ、同人らの間に生まれた嫡出子として届け出られて養育されていたところ、翌年二月、上告人の申立による大阪家庭裁判所堺支部の審判において、被上告人ら、被拘束者間の親子関係不存在が確認されるに及び、同審判に基づき、新たに被上告人らの嫡出子としての戸籍簿の記載が抹消され、上告人の子として上告人の戸籍にその出生が記載されたこと (二)被拘束者の実父村田二郎は、その後被拘束者を自己の子として認知したうえ、昭和四六年四月被上告人らとともに、右村田二郎は親権者として、被上告人らは監護者としての各指定を前記裁判所に申し立て、右両事件は現在なお同裁判所に係属中であること (三)これよりさきの昭和四五年一二月一二日、上告人は、被拘束者につき被上告人らを拘束者として大阪地方裁判所堺支部に人身保護法二条による救済の請求を申し立て、昭和四七年三月三一日、請求棄却の判決を受けた結果、更に上告を申し立てたが、同年七月二〇日最高裁判所第一小法廷により上告棄却の判決があつたこと (四)上告人による被拘束者の奪取は、その翌年五月のことであり、それに続く拘束に対して被上告人らから逆に被拘束者救済の請求を申し立てたのが本件であることなどが、原審の認定した経過の要点である。したがつて、さきの当裁判所第一小法廷の判決は、上告人による被拘束者の奪取が行なわれる以前のことに属し、その請求者と拘束者と本件におけるそれらとは彼此の立場を逆転していることになるので、この点に関する周到な考察を要することになるのである。

すなわち、前記の親権者及び監護者指定の各申立に対し、未だ家庭裁判所がこの点に関する審判をしていない現段階においては、上告人のみが法律上親権を行なう者とされるのであるから(民法八一八条、八一九条)、同人は現に被拘束者に対する監護及び教育の権利を有し義務を負い、ないしは居所指定の権利をもつ者であるところ(同法八二〇条、八二一条)、これに反して被拘束者の父は被拘束者を子として認知してはいるけれども、それだけでは親権を行なうことにはならず(同法八一九条四項、なお、父が認知する場合の監護者の決定につき同法七八八条、七六六条)、親権者及び監護者を定めるについて争いのある限り、現法制のもとにおける結着は、究極的に家庭裁判所の審判をまたざるをえないことになるのである。ところで、原審が適法に確定した事実関係によれば、上告人は、ともかくも当初において被上告人らの善意を信頼して被拘束者を引き渡し、被上告人らの子として養育することにつき当事者間に意思の合致があつたものと認められるのであつて、前示の当裁判所第一小法廷判決もこの事実を含む第一審の事実認定を首肯して上告人の上告を棄却する判断をしていることが明らかであり、このことによつて上告人の請求を棄却し被拘束者を被上告人らに引き渡す判決は、確定したのである。しかるに、その後に起きた上告人の被拘束者奪取行為は法律上明らかに許されない手段によるもので、その行為にみる異状な烈しさや以後引き続き被拘束者の居所を裁判所にも明らかにしていない状態は、専ら上告人の独断的主張と行動により形成された事態であり、被上告人らの三年余にわたる被拘束者の養育に対して与えられた法的安定は、突如、一方的に力づくで破られたのである。このことは、原判決が判示するように、裁判所から拘束の場所を明らかにすべき旨の人身保護法一二条に基づく裁判所の命令にも応じない上告人の態度とともに、親権の行使としての正当な限度を超え、とうてい是認し難い状況にあることを証するものといわなければならない。すなわち本件に示された上告人の作為は、たとい母性の激情に出たものであるにしても、その事由のみをもつてしては、同法二条、人身保護規則四条により拘束救済を求める被上告人らの請求に対し、その要件に当たらないとしてこれをしりぞけるに足る法的評価を得ることはできない。そして、本件の当事者は、本件の終局的な解決が、被拘束者の幸福を主眼として監護者を決定する家庭裁判所の審判にかかつていることを否定してはならないのである。

およそ破綻した夫婦関係の場合における幼児引渡請求事件において、その幼児の幸福を中心として当事者のいずれに監護させるかを決すべきであることは、上告理由のいうように当裁判所の多くの判例(例えば、昭和二三年(オ)第一三〇号同二四年一月一八日第二小法廷判決・民集三巻一号一〇頁)の説くところであるが、具体的には夫婦関係に至らない場合の事案である本件においても、その被拘束者をめぐつて与えられたいくつかの裁判のすべてが、これらの判例とその軌を一にした意味合いをもつことを疑うべきではあるまい。私は、本件について、その事実関係が既住の裁判例にみる事例に比して特異のものであることを認めつつも、人身保護法全体を貫く精神及び論旨引用の諸判例の趣旨にかんがみ、原判決の判断を肯定せざるを得ないのである。

(裁判長裁判官 天野武一 裁判官 関根小郷 坂本吉勝 江里口清雄 高辻正己)

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